以前、ゴールインした後振り返ってみて初めて出発点から最終到着点までの道が見えるということを書いたことがある(第21回コラム『よみがえり』参照、良かったら読み返してみてください)。現在の最終地点とは違う所に行き着く可能性が無数にあったが、たまたまそこにたどり着いただけと言い換えることができるであろう。つまり、どこか一つ分岐点で違った選択をしただけで、まったく異なる場所に達していた可能性があるということである。
多くの場合行き着いた所からたどってスタート地点に戻るため、あたかもそこに1本の道しかなかったかのような錯覚をするが、実はかなり偶然に支配されていた可能性が高いのだ。起こらなかった未来は、起こった未来と同じ確率で起こりえたのである。
アマゾンが制作し、アメリカでテレビ放送され大ヒットしている「The Man In The High Castle(高い城の男)」というドラマをご存知だろうか。私の大好きな映画のひとつ『ブレードランナー(若かりしハリソン・フォードが超かっこいいです)』の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を書いたフィリップ・K・ディックが、50年以上前に上梓した小説で、もし、第2次世界大戦での戦勝国が逆だったらという設定のお話です。つまり、ドイツと日本が勝って、アメリカが両国に分割統治されているという、なかなかにぶっとんだ設定なのです。
この小説が凝っているのは、物語の中で枢軸国に統治されているアメリカにおいて、もし連合国が勝っていたらという小説を発表して発禁本となり警察に追われるはめになる男が出てくることである。つまり、二回ひっくり返って元に戻るのであるが、戻ったそれは今の世界ともかなり違っているのである。ひねりが利きすぎている感があるが、なかなか面白い思考実験だと思う。
また、重要な歴史的背景として、この小説が書かれたのが1962年だということを忘れてはならないであろう。この年キューバ危機が勃発し、米ソが同時に核のボタンを押していてもおかしくなかったぐらい、世界が緊張感で充満していた年なのだ。もしかしたら、破滅の道に向かうきっかけがあの第二次世界大戦にあったとしたら、アメリカを含む連合国が負けていた方がよかったのではと、フィリップ・K・ディックが考えたとしても不思議ではないかもしれない。考えてみたら、終戦から17年しか経っておらず、まだほとんどの人に戦争が生の経験として息づいている時なので、あり得ない話ではないであろう。(ファンの間では、ディックの最高傑作との呼び声も高いこの「高い城の男」、興味のある方はハヤカワ文庫で読めますのでぜひご一読を。)
自らの歩んできた道を振り返ってみて今ある自分が、かつて予想していた自分の未来像と寸分違わぬ人なんてたぶん一人もいないのではないだろうか。でも、何となく、それほど離れていないかもと思っている人も多いと思う。
これしかなかったのではなく、他もあり得たという風に思考の実験をしてみるといろいろ見えてくることがあって、面白いと思う。これは、研究・実験の結果を考察するときにも役に立つので、研究者の方はぜひ一度試してみてほしい。まあ、それほど大げさなことではなくても良いのです。例えば、自分の人生のある一点で、此所で違う道を選んでいたら自分はどうなっていたのだろうと考えてみるというのもいいのではないでしょうか。
私に関して言うと、小学校の時の卒業文集に書いた将来の自分と、中学校の卒業文集に書いた将来の自分が全く違う内容だったことから、この間に大きな転換があったことが分る。なぜ40年近く前のことをそんなに詳しく覚えているかというと、前にも本コラム欄に書いたことがあるのだが、自分の書いた文章を読むのがすごく好きだということが理由の一つとして上げられる(第21回コラム『よみがえり』参照、まだ読んでない人はぜひどうぞ。しつこい。)。
実は、小学校、中学校、高校、大学と全てで卒業文集の制作に関わったため、それぞれどのような内容だったかと挿絵の配置と表紙のデザインは大体記憶している(あまり言ったことはなかったのですが実は密かな自慢です)。といっても、正確に覚えているのは自分が書いた文章と挿絵だけなのですけどね。
小学生の時は、親友で幼なじみのM君が表紙の蝶を描き、全体の編集と挿絵描きを自分が担当した。中学校の時は、表紙にクラス全員の似顔絵を僕が描いて、クラスが違うのにM君に中の挿絵をいくつか描いてもらった。大学では、文集の空白部分のイラストを埋める担当だったし、その前に、学部に上がるときの自己紹介文集作り(昔、熊大医学部ではこんなことをやっていたのですよ。)では、他の人の自己紹介文の余白に勝手に似顔絵を描いたりしました。もちろんいまだに全部とってあります。
余談の余談ですが、娘が高校のときクラス対抗の水泳大会のTシャツを作ることになり、そのデザインを彼女が描いたのですが、それがクラス全員の似顔絵イラストだったというのを聞いて、DNAの恐ろしさを感じました(しかも私より断然上手かったので、若干の嫉妬とともに)。
話が大きくそれましたが、医学部に行くかどうか、卒後何科に進むか、大学院に入るかどうか、臨床に戻るか研究を続けるか、留学するかしないか、熊本に残るか東京さ行くか。進学や仕事の面だけでも数多くの分岐点をその都度悩みながら選択してここまできている。
今までの選択がよかったか悪かったかは、ここでは言及しない(そんなに悪くないとは思います、今のところ)。まあ、選択後の世界を生きている自分が、そのときの自分の選択が悪くなかったというためには、選んだ後に後悔しないような過ごし方をしているかどうかを、常にセルフチェックすることでしか担保できないということだけは言えると思います。
とはいえ、「あ〜、やっぱりあっちにしとけば良かった。」と思うことが無くなることはないのでしょうけど…。
2016年4月13日脱稿
吉村 和久
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